「御国が来ますように」という祈りに、この第三の祈りが続きます。これは第
二の祈りの内容的な展開であると考えられます。「御国が来ますように」と祈る
ということは、天におけるように地の上にも神の御心が行われることを願い求め
ることでもあるからです。
「地の上に御心が行われること」を求める祈りは、現実には地の上に御心が実
現していないという事実を示しています。実際私たちはそのような世界に生きて
いるのです。そこに神の御心が成ることを求めることは、すなわち神の救いを求
めることに他なりません。そして、この世界に救いをもたらす神の御心は私たち
と全く無関係に行われるのではありません。
これに関連して思い起こされるのはイエス様御自身の祈りです。主は十字架に
かけられる前夜、ゲッセマネの園においてこのように祈られたのです。「父よ、
できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの
願いどおりではなく、御心のままに」(マタイ26:39)。このようにイエス様
において、御心が地上に行われることを祈るということは、十字架に至るまで父
なる神に従順であるということを意味したのです。
神は御心を行うために人を用いられます。神は人間の従順を通して御心を行わ
れます。「地の上に御心が行われますように」という祈りは、何よりもまず私た
求める祈りに他なりません。その祈りがあってこそ、さらに全地に神の支配が完
成し、救いの御心が実現することを祈り求める者となるのです。 (清弘剛生)
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