人間相手の戦いではなく、悪魔との戦いであるならば、人間の戦略と力によっ ては到底勝ち目はありません。それゆえに下記の御言葉にあるように、パウロは
戦いのための「神の武具」について語るのです。
① 真理の帯
真理とはこの場合「正しい教え(正しい教理)」のことです。「信 仰は勉強ではない」と言われる方があります。もちろんその通りです。しかし、 信仰において体験を強調する熱心なキリスト者が、学ぶことを疎かにしたがため に、悪魔に足をすくわれて道を踏み外してしまった例は、決して少なくありませ ん。私たちは真理の帯をしっかりと身に付けなくてはなりません。
② 正義の胸当
これは人間の正しさとしての正義ではありません。神の義(ロ ーマ3:22)です。罪人を義としてくださる神の義です。人間の義は悪魔の前 に役には立ちません。悪魔は告発者であって私たちの義に挑戦して来るからで す。「おまえは罪人ではないか」と。それゆえに神の義を胸当としなくてはなら ないのです。「わたしはキリストによって救われ、罪を赦され、神に義とされた ものなのだ」と宣言することによって悪魔に対抗する必要があるのです。
③ 平和の福音の履き物
「平和」とは人と人との間の平和をも意味しますが、 この場合、第一には「神との平和」です。ゆえに「平和の福音」の内容は、すで に述べた「義」であると言って良いでしょう。これを宣べ伝える用意をしておく ことです。私たちは福音を宣べ伝えることによって、すなわち「伝道」によって 悪魔の働きと戦うのです。(次回に続く)
立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備をとしなさい。エフェソ6:14-15
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