3世紀初頭に書かれた「ヒッポリトスの使徒伝承」という文書によると、古代 の洗礼式においては、志願者が司祭の右に立ってこう宣言することになっていた ようです。「サタン、わたしはおまえと、おまえの一切の虚栄と、おまえの一切 のわざを捨てる」。つまり洗礼は新しい命に生きることを意味するのですが、それはまたサタンに反旗をひるがえして戦う者として生きることをも意味したの です。それゆえに、洗礼式は「入隊式」とも見なされたのでした。洗礼や聖餐を 指す「サクラメント」という言葉は、もともとラテン語でローマの軍隊への入隊式を意味する言葉だったのです。
このように信仰生活を《悪魔との戦い》として見ることは大事なことです。そ
れは、いかなる意味においても《人間との戦い》にしてはならないことを意味す るからです。「悪魔の策略に対抗して立つために」(エフェソ6:11)と語られ ているとおり、悪魔は策略を用います。それは使徒たちの実感だったのでしょう。 いつの間にか《人間との戦い》になっていることが確かにあるのです。その時、 相手に勝ったつもりでいても、高笑いしているのは悪魔なのです。さらに言うな らば、《人間との戦い》にしてはならないということは、《自分との戦い》にして もならないということでもあります。自分をどんなに苦しめても痛めつけても、 それで何か善きことが進むことはありません。戦いにおいて最も基本的かつ重要なことは敵を間違えないということなのです。(清弘剛生)
悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に付けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。エフェソ6:11-12
祈りの課題
1. 笠井政子先生を主の栄光のために豊かに用いられた主への感謝。また ご遺族の上に主の慰めが豊かにあるように。
2. 台風9号、10号によって被害に遭われた方々のために。今も避難生 活を送っている方々のために。
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