「主の祈り」において罪の赦しを求める祈りは、マタイによる福音書において
は「わたしたちの負い目を赦してください」となっています。つまり、罪が神に
対する負債として表現されているのです。「罪を赦してください」と祈るという
ことは、負債を帳消しにしてください、ということです。負債の帳消しを願うの
は、返済できないからです。破産者であるからです。破産していないならば、返
済をしなくてはなりません。しかし、一生かけて償っても、何をしても返済しき
れないほどの罪の負債を抱えていることを自覚した人は、破産者として負債の免
除をひたすら乞い願うしかありません。「負い目を赦してください」とはそうい
うことです。イエス様がそのように祈りなさいと言われたということは、主が私
たちを、赦してもらうしかない破産者として見ておられるということです。
さらに言えば、ここで祈っている言葉は単に「わたしの負い目を赦してくださ
い」ではなく、「わたしたちの負い目を赦してください」です。破産した人が、
右にも左にもいるのです。そのような「わたしたち」が共に神の前に負債の免除
を願い求めます。そして、憐れみ深い神は負債の免除を宣言してくださるのです。
さて、そのような憐れみを受けている破産者の群れの中において、互いの間の小
さな貸し借りが意味を持つでしょうか。本来、それは意味を持たないはずなので
す。そのことを表現しているのが、続く「わたしたちも自分に負い目のある人を
赦しましたように」という言葉です。マタイ18:23以下のたとえ話がその言
葉についての最良の解説です。 (清弘剛生)
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