前回は「新しい誕生」をもたらす聖霊のお働きについて書きました。それは「誕生」と表現されているように、ある時点において起こることであり、あえて言うならば「瞬間的」な出来事です。ですからパウロもある時点を指して「この救いは…実現したのです(直訳では「救われたのです」)」(テトス3:5)と表現しているのです。(文法的にも過去のある時点を指す表現が用いられています。)そのように、確かに「救われた」のです。罪を赦され、義とされ、神の子とされ、神との交わりに入れられたのですから。
しかし、聖霊の働きは私たちを新たに生まれさせて終わるのではありません。罪が赦されることも、義とされることも、神の子とされることも、それ自体がゴールではありません。聖霊によって新たに生まれた私たちの内に、聖霊が住んでくださることについて、聖書は語っているのです。パウロは言います。「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです」(1コリント6:19)。つまり救いは瞬間的な出来事であり、その意味で「救われた」と言い得るのですが、もう一方において救いは継続であり、その意味で「救われつつある」と言えるのです。神の子とされた私たちは文字として書かれた律法を守ることによって、様々な教えや戒めを守ることによって変わっていくのではありません。私たちは聖霊の働きにより主と同じ姿に変えられていくのです。 (清弘剛生)
わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。 2コリント3:18
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