聖霊はキリストの体の各部分に霊の賜物を分け与えます。
パウロはコリントに宛てた手紙の中で「霊の賜物」の実例として例えば「奇跡を行う力」や「病気を癒す力」などを含め幾つもの超自然的な能力を挙げています(1コリント12:8以下)。実際、使徒言行録を読みますと奇跡的な癒しの話が頻繁に出て来ますし、当時のコリントの教会においても、そのような霊的な力の現れは決して珍しくはなかったのでしょう。そのような力の現れは今日の教会において必ずしも身近なものではないかもしれませんが、その意味するところは重要です。すなわち、教会が形作られる上で重要なのは、人間がもともと持っているものではなく、神から来るものだということです。言い換えるならば、能力にせよ何にせよ、私たちはただ人間の持っているものを持ち寄って教会を形作るのではない、ということです。このことを心に留めておかないと、教会の行うことは所詮人間の業の寄せ集めに過ぎないものとなってしまいます。「人間の業」は人間だけでできますから、神への期待をもって祈ることもなくなるでしょう。
教会は人間の内に宿り働かれる聖霊の無限の力に目を向けることを大切にしなくてはなりません。聖書に書かれている霊の賜物のリストはそのことを繰り返し私たちに思い起こさせてくれているのです。 (清弘剛生)
霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。務は種々あるが、主は同じである。働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。 1コリント12:4-7
すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。 1コリント12:12-13
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